自分が実践しているものを理論的に説明できるんで。
説明の及ばない部分だけが実践じゃないよね?
その理論が音楽的貢献があるかどうかを判断するのは結局聞く人。
演奏者がいくら「役立ってる」と思っても、それは単なる自己満足。
自己満足自体を否定はしないが、それは本人の満足に役立ってるだけであって
音楽的に役立ってはいない。
>>377
聴く人は音楽理論を聴く訳じゃないでしょ?わかってる?
聴く人は、その人の音楽を聴く訳でしょ?
色々混同しすぎ。
>>381
演繹と帰納はあなたの思っているような意味ではない。
>>382
面白くない。話を逸らそうとせずに、>>378や>>380にレスしたらどうだ?
>>378
頭悪いな。
聞く人に一切伝わらない理論など無意味だろ。
聞く人に、何らかの形で伝わるからこそ意味がある。
なんで伝わるって思えないのかが逆に不思議だね。
俺の理論は聴く人に伝わるって、思えないの?
なら、ほんと無駄だよその理論。
現代音楽といわれるもので特に顕著になるが、
その理論(概念)を表現する為に音楽(音)を利用するようなこともある。そんな事もわかってるよ。
上で行われたような(一般理論を踏まえて足並み揃えた上での)議論とは別で、立場がまた逆だ。
まあ、その文脈があるからカットアップして言葉にそうがっつかないでくれ。
>>377
君の「理論が役に立つ」というのは「理論が実践にプラスの影響を与える」ということだろ?
そして「理論が役に立つのは稀だ。このスレの住民にはほとんど無意味」ということ以外に、
君は何か主張したいことがあるのか?
君の「理論の音楽的貢献を判断するのは聞く人」というのは、実は理論は関係なくて
「いい曲か悪い曲かを判断するのは聞く人」ということだろ?
「いい曲を作るためには理論は最良の薬ではない」ということ以外に、
君は何か主張したいことがあるのか?
君は長文を書くのに向いてないよ。
>>380
人の発言を勝手に捏造しないでくれないかな。
「理論が役に立つのは稀だ」なんてどこに書いてある?
思い込みで適当なこと書くのはほんと勘弁して。
少し頭冷やしたほうがいいよ。
理論が全てじゃないのと同時に、
音楽理論が音楽の発展に大きく貢献してることなんて議論するまでも無い。
でも、ここでレスしてる人の多くは「よりよい音楽のための方法論」について話していないと思う。
実践のための理論はどんどん話したらいいと思うけど、
議論のための議論、理論のための理論は無意味。
たったそれだけのことが理解できないのかね。
>>377をこう改変すると面白い
同じこと書くが、
その”音楽”が”社会的貢献”があるかどうかを判断するのは結局”お金を出す人”。
”作曲者”がいくら「役立ってる」と思っても、それは単なる自己満足。
自己満足自体を否定はしないが、それは本人の満足に役立ってるだけであって
”社会的”に役立ってはいない。
理論は曲を生産するための治具や金型みたいなもの
曲が工業的に大量生産される現在の状況がもたらされたのは
整備された理論があったからだし
作曲ツールの進化によって理論をあまり知らなくても
理論に沿った曲作りができるようになった
今は誰でも手軽にDTMで曲を作れる時代だし
そういう状況をもたらした理論は素晴らしいだろ常識的に考えて
全ての音楽理論が帰納というわけでもあるまい
声の順次(隣接/連続)原理は正論だし、それがどこまで表面張力のように純正比率に吸い付くかちょっと怪しいけど
確かに演繹と帰納の問題点に一石投じている感。頭蓋骨に響かせ答えを求めるのだろうか。
それとは別に、理論として音律のシステムを作ってしまうわけだからな。どっちだよ?みたいなw