裏切られた感覚を感じたならOK。アレンジや作曲はそういう聴き手の感覚を操作する
作業だと思うから。
V7が鳴ったときは、Iに解決したいと感じますが、
Vが三和音の時や代理和音の時は、どうも分かりにくい…。
ああ、そうそう、漏れもそんな感じですわ。
>>439
あ、そこそこ勉強した上での感覚なわけね。
じゃあ別に良いんじゃない?腐ってないでしょ。
文章が素人っぽいから、入門者かと思ってたよ。
D→Sなんてクラシックの世界でも頻出するんで、別にどうってことない。
そうなのですか。安心しました。
本などには「D-Sの進行は禁止!」なんて書いてあるので、
もの凄く違和感を感じるものなのかと思っていました。
回答ありがとうございました。
それはある時代の特定のスタイルの作法の話だね。違和感というか
「場違い」といった感覚。ど演歌にM7(#11)のような類の。
禁則といわれるものにはそういう部分があるということ。
では、時代、スタイルに関係なく成り立つ部分というのはあるのでしょうか。
追加質問ですいません。
もしかしたらそういう部分はほとんど無いかもね。
ただ、1度と5度がハモって聞こえるのは音の振動数という「物理学」で
説明できるらしいから、そういう範囲には普遍性があるのだろうと思う。
でもその範囲がどこまでかはわからん。
ともかく、ある音楽理論の禁則は、別のスタイルでは禁則でないかもしれない、と
いうことが重要なわけ。
それがベーシックというものでしょう。
viim7b5にはiへの推進力を弱く感じる…….何も問題ないと思うが。
はげどう
4小節とかの楽節に慣れているせいかもしれないと思い始めてきた。
私の場合、クラシックの苦手なところってその楽節構造が
よく分からなくなるところなんですよね。良くあるパターンでは
まるで輪唱に近いようなまた始まった、また始まったと言う感じの
ものもありますよね。
コード進行は楽節構造に依存している部分がかなりあると
思うんですけどどうですかね?
>>446
いや、4小節単位が基本なのは、クラシックも同じ。
もちろん、時折意図的に3小節単位などを使うけども、あくまでも基本は偶数小節単位。
ただ、クラシック(あくまでも典型的なロマン派までのクラシックに限るけども)に特徴的
なのは、和音の機能の切り替えが非常に多いこと。
これは、スムーズな調性変化を重要視するためなのだけども。
>輪唱に近い
対位的な技法を意味しているのかな?
でも、慣れれば分かると思うけども、やはり偶数小節単位が基本ですよ。
多分その切り替えの部分でまた始まったと感じてるのかも。
楽節がそこで切り替わる感じになっちゃうので…
>>450
そうかもね。
売れ線ポピュラーだったら、
イントロ – A – B – サビ – A – B – サビ – 間奏 – B – サビ(所要時間5分)
で終わるパターンが多いけど、クラシックの交響曲の第1楽章とかだと、
イントロ – A – A´- B – C – C´ – D – A – B – C – C´- D – E(所要時間10分)
クラシック風にいうと、導入部、呈示部(第1主題、第2主題)、小コーダ、展開部、再現部、
コーダ、となります。