平均律機能&非機能和声は
ギリシャ→ウマイヤ朝→ビザンチン帝国→イタリアドイツオーストリア
って流れた痕跡だろ
インド音楽もウマイヤ朝から広がったと思う 中国方面にも伝わったはずだがイマイチだった
ビザンチン音楽をまとめた→バッハ周辺の人々(バロック)
ウマイヤ朝~トルコの音楽をまとめた→モーツァルト周辺の人々
アメリカの庶民の音楽がなだれ込んだ→チャーリーパーカー周辺のビバップ
後ウマイヤ朝の音楽が生きていた→サンバ、アフロ、サルサまたはアントニオカルロスジョビン
盗作はだめだが盗用が無くては始まらない
ハプスブルグ家はスペイン完全征服直後からアメリカ大陸への入植を始めたので、
後ウマイヤ朝の音楽は直接新大陸に渡ったと思われる
スペイン帝国の本家はウィーン(神聖ローマ帝国=西ローマ帝国)だが地元スペインのイスラム音楽のほうが圧倒的だったと思われる
スペインから分離したポルトガルにはさらに北アフリカ(イスラム)の文化が流れ込んだはず
スペインはかなり初期にカトリック系に支配されたがポルトガルはイスラム教徒が何百年も粘った
こんな風にヨーロッパ&中近東の歴史が動き出すのは圧倒的なモンゴル帝国が撤退した後である
ネアンデルタール人はわからんが直立猿人の音楽なら聴けるみたいよ
音楽の歴史を支配したのはローマ帝国(本当はウマイヤ朝かも)だが判りづらいので簡単に
→本家 ギリシャ正教 東ローマ帝国(ビザンチン帝国)→後ビザンチン帝国→ロシア帝国
ローマ帝国
→分家 カトリック 西ローマ帝国(神聖ローマ帝国)→オーストリア帝国(ドイツ、イタリア、スペインを配下にした)
この格差は非常に大きく文化は全て東から西へと流れた
モンゴル人の支配により白人たちは西側へ移っていった
西ローマ帝国は元々は捨て地で邪魔な人間を移していたためゲルマン人の移動により即崩壊
ヴァチカンのカトリック法王は最も勢力の強いものを西ローマ皇帝に任命して守ってもらった
本家ギリシャ正教の法王はビザンチン皇帝が兼ねていた
中近東はアッパース朝(サラセン帝国)→ウマイヤ朝(イスラム帝国)→モンゴル帝国→セルジュクトルコ→オスマントルコ
ジンギスカンの世界征服の優先順位は
ウマイヤ朝>金(万里の長城越え)>ロシア>ビザンチン>インド>西ローマ
ほぼ達成