何でもあり、じゃ勉強になりませんから、ある程度枠を作ってやって、その中で
創意を発揮しろ、という事です。
イロハが分かれば、自ずと禁則が外れてくる事でしょう。
禁則の理由には、音が埋没してしまったり、制御不能のビブラートを発生させたりすることが
原因だったりするので、それをわかってなんらかの目的を持って破る分にはよかろう。
なんで禁則になっているのかわからずに、それを破ることを斬新だと思ってやる人は厨。
同様に、なぜ禁則になっているのかわからずに、禁則破りをそれだけで批判するのはオヤジ。
経験則みたいなもんだよ。
綺麗、汚いの取捨選択は、前時代までの人々がさんざんやってくれたので
疑わなくても良いでしょう。
そりゃ感覚が合わない場合は疑うだろう
もうペンタトニックオンリーな日本人ではないのだから。
だから
>>457
そんなに疑うなって。
別に君だけが特異で優れた感性を持ってるわけじゃないんだから(ワラ
同意。
前時代までに済まされた美観をいちいちやり直すなんて面倒なだけ。
一生あっても足りないね。
先進国なら。
ンな訳あるか
悲しいがそれが普通。
普通と言い切る根拠出せバ~カ
いや、別に疑うわけじゃなくって、今生きている人は今の
コンテンポラリーな感覚でいいんじゃないかなと。
ちょっと拡張しただけとかかも知れないけど違うところはたくさんあるじゃない。
たとえば b9 音程を禁則とするとかさ。これはもう現在では一般的な
味わいの一つになってるし。
さっきの涙そうそうみたいな曲でも D7(b9) = Adim/D とかあるしね。
確かに禁則として知るとそれだけ意味のあるものだってのが分かるから
それはそれでいいことだとは思うけどね。それはそれとしても
きれい汚いの取捨選択と聞くと音程の感覚の違いを思い出して
こんな感じの疑問を持っちゃいますわ。
うーん、一部にそれ以上の信頼を置いている人がいるような…
曖昧な文を書いてもた…
>それ以上の信頼を置いている人が一部いるような…
ですわ
ただ、前後の流れによりアリの場合も多々ある、というだけじゃん。
無秩序に使われても、気持ち悪いだけだ。
場合によっては反論してあげるから。
>>470
反論とかそう言う強硬姿勢にならないで…
>>456 >>458 >>459 >>461
の姿勢と
>>463 >>464
の姿勢が違うんじゃないかなと。前時代の美観に対してさ。
で、前者の方にはなにか問題がないか?
と言いたいだけですから。
>>472
ま、自分の感覚を根本から疑うのもアリだよ。
ただ、音楽に対する姿勢として考えた時には、既に20世紀のダダの流れ、まあつまり
具体音楽だとか、有名どころではケージとか、まあここでは乱暴に前衛と括ってしまう
けども、その20世紀初頭からの約60~70年間でやり尽くされてる。
結局、前衛が下火になったのも、前衛が長く続けばそれは前衛ではなくなる、という
自己否定性が顕著になってきたからなんだよね。
そういう前置きがあるおかげで、今の僕らは何をやっても問題ないわけだよ。
例えば、美術の方面では、TOTOの便器を置いただけの『泉』という有名な作品があるし、
まあ、音楽の方面なら皆さん専門だし言わずもがなだろう。
150~300年前の作品と比べると両方とも隔絶の感があるよね。
でも、そういう風に歴史は進んできた。
つまり、これは150~300年前の禁則とかそういうものが、数学の世界でいう『1+1』と同じ
という事を示しているんですよ。『1+1』が『2』でなかったら、この世はもう崩壊してるわけで。
連続5度なんて、ドビュッシーの時代に頻出しますが、それも連続5度はダメ、という前提が
あったからこそ、新しいフロンティアを感じたわけです。
換言すれば、だからこそ150~300年前の感覚は疑う必要はないんです。
もちろん、作曲する時には大いに疑いまくりです。ただ、その疑う、というのは拡張するという
意味合いがあるわけですね。その感覚の存在意義を否定しろ、というのではないんです。