まあ音楽理論はいい加減な世界だからなあ。
社会の落伍者でしかないミュージシャン如きに数学的な厳密さを求めても土台無理な話だ。
矛盾が仮にあっても、カッコ良ければおkの一言で全て済まされる世界。
学者じゃないから厳密なことまで考えてない。
コード表記なんて最たるものだ。
キーや前後の文脈で考えて判断するしかないし、通常はそれで事が足りる。
そのコード一個だけを抜き出して数学的な矛盾や効率性や誤解の排除を考えても全て無駄になる。
なぜなら書いてる本人だけじゃなく理論そのものが最初から数学的に厳密な矛盾排除によって体系化なんてされていないからだ。
テンション表記もそんなもんだし、書いてる本人も大して厳密に考えてないし、
もし厳密に真面目に頭ガチガチで考えてる同士が意見を交わしても、逆に論争になるだけだな。
このスレ見ても分かるようにテンションなりエクステンションの定義そのもので意見が別れて喧嘩するのがオチw
このスレだけじゃない。
世界中で読まれてるジャズ理論書書いてる著名な奴を集めて議論させても何かにつけて意見が別れて喧嘩になるのは同じ。
ミュージシャンなんてそんなもん。
ミュージシャンが抱えてるジャズ理論なんて学問の世界よりもっと遥かに低次元な、
アマチュアが突っ込む程度のところで非効率性をわんさか内包したままほったらかされてる世界。
そんなものに厳密な定義を求めても全て無駄だ。
もしも音楽理論を、誰が見ても誤解も矛盾もない、一欠片のホコリもない無菌の世界にしようと思えば、
【この表記がなされた場合、少なくとも音の選択に関して、必ずこの通りに弾かねばならない。
構成音も配列も1音たりとも一切変えてはならない。
勝手に展開したり、勝手に追加や省略をしたりしてはならない】
というガチガチの権威主義を受任する意味において理論を体系化せざるを得ない。
解釈する人間の勝手な自由裁量としてわずかなチリ1つでも認めてしまえば、
理論そのものがその時点で何らかの矛盾を必ず抱えてしまう。
ところがクラシックと違い、ジャズ理論なんてそもそも個人による勝手な自由裁量のほうにこそ音楽の本質があるんだから、
そもそも論としてジャズもといポピュラー音楽全般は「一切の矛盾のない理論」というもの自体が成り立たない運命にある。
「料理の世界では人間の味覚という曖昧で千差万別な世界を扱うから厳密で数量化された完璧な理論など作り得ない、
というのと同様に、つまり音楽もry」
などという例えを持ち出す遥か以前の次元の話として、
たとえ数量化できる部分のみに的を絞ってもそれでも大きな限界があるのが、ジャズを筆頭とした音楽理論と言わざるを得ない。
それを承知した上であくまで便宜上に体系化した理論を利用するのと、そうでないのとでは随分違ってくる。
音大の論文とかさ、独自の理論で過去の曲を分析しましたみたいなんばっかじゃん
音程もリズムもただの対数で、テクノロジーの発達で聴覚の特性も分かってて・・・ときたら
エレガントに定義された数式と美しい音楽、それと古典的理論ならこう解釈しますみたいな例が提示されていいと思うんだが
数学者も楽理学者も本気出さないのな
ま、それが出来たら学者なんかやめてミュージシャンやるわなw
たかが1ジャンルにすぎない古典的理論を
すべての音楽に通ずる普遍的なものと考えるのをやめろよ
理論で説明できない曲はあるし、あってもいいと思うが?