いい曲だったら完成度を上げていって、そうでなければ放置。
レパートリーに加えたければ暗譜するまで弾き込むだろうし、
そういうつもりがなければ楽譜有りのまま弾き続けてもいいんじゃない。
全部の曲を同じように完璧に仕上げようとするんじゃなくて、
(そうしたいなら、そうすればいいけど)
曲によって合格の基準はテキトーに変えるの。
そろそろ限界なんじゃないかと思うことはないですか?
同じ年数習ったとしたらどんだけうまくなったことか、と後悔はしませんか?
いけるところ迄でいい。
もうこの辺までかなと限界をかんじても
しばらくするとまた景色がかわってる。
いままで道草ばっか食ってきたけど
最近はたくさん練習して無理矢理?弾けるようになるより
道草しながらでいいや、とおもってる。
音の出し方、ピアノの歌わせ方、拍子のおもしろさ
年齢がいくとそれなりに、
自分の嗜好に適ったやり方にいろいろ気づいてきて
そのぶんピアノを弾くひきだしがふえてるとかんじる。
怠け者の言い訳でした。
>>256レスありがとうございます。
好きな弾き方で楽しめるのはいいですね。
うまく弾くばかりがピアノの楽しみ方ではないと
あらためて感じました。
しかし、少し弾かないとすぐにボロボロになるのは
やってられない気持ちになりますよ。
習ってきちんとメカニック等身につけてれば、ある程度のレベルなら
維持できるわけで、一時期その曲だけが弾けるようになってるのとは
違うと思うんです。
で、自分でメカニックの向上を図るっていうのはコツが掴めないかぎり
ひたすら弾くしかないわけで、曲と同じように一時期覚えてすらすら弾けても
なんら普通の曲で応用が効くことにはなっていないと思うのです。
だから、なんだかなぁ…と。
ま、愚痴ですね。聞き流してください。長々すんません。
そこにたどり着くまでまだまだ時間がかかりそうだから、俺は当分独学だが
何人かの先生についてたら本当に思う。
よっぽど質のいい先生でない限り、金なんて出す価値ないね。
それに先生についてもいつまでたっても、下手な人はザラにいるよ。
習ったほうがいいってすぐ言う人って踊らされやすい人も中にはいると思う。
ちょっとトゲのある言い方だが、ほぼ同意。俺は今まで4人の先生に習ったが、
大当たり:1人、 まずまず当たり:1人、 大ハズレ:1人、 人格障害:1人
だった。因みにこの4人の内2人は、現役ピアニストだよ。
習いにいってよかった最大のポイント
聞いてもらえる、ほめてもらえる。
一人でやって、自分の録音で「綺麗に聞こえるようになった」「ミスしなくなった」と満足していても
誰にも聞いて評価してもらえないことがとてつもなく悲しいと感じることがあった。
自分はほめられて頑張るタイプだったことを再確認しました。
あと自分で「これでよし」ってポイントから成長しなくなる。
「この曲、好きで結構練習してましたがいかがでしょうか?」って聞いてもらった曲も結構ダメ出しあったし。
CDと聞き比べながら一所懸命やってたのに…自分の耳っていい加減orz
友達とか家族に聴いて貰うだけでも全然違うよな。
人に聴いてもらうと適当に弾けないから完璧に弾きこなせてないのがありありと分かる。
書いてはないが、今も同じじゃない?
ジロティ、ブゾーニ、ゴドフスキー、フェインベルグのバッハ編曲モノは
ポリフォニーの扱いと、声部の歌わせ方のいい練習になるな。
どれだと思う?
正解は、両端の「大当たり」と「人格障害」。
通い始めたいとこの娘談。
「なんか浮世離れしたおばさん」