俺が考えるに、ジャズ理論に置いては「今まで使われなかった音が使われている、
今までになかったスタイルがある、これらをどう理解するべきか?」ということが
重要だから、概念にこまかい定義が必要なんだと思う
逆にクラシックでは、「いままで慣習上使われなかった音がある、
その慣習を明言化するとどうなるか?」が重要だから、概念自体はみんな、
「あ、あれね」みたいに既に作曲家たちに判っていることがどの様に使われて、
成り立っているか、をいかに明らかにするか、ということが重要になって来るんだと思う
クラシックでは
「今まで使われなかった音が使われている、
今までになかったスタイルがある、これらをどう理解するべきか?」
は重要ではないと?
ジャズでは
「いままで慣習上使われなかった音がある、
その慣習を明言化するとどうなるか?」
は重要でないと?
モンテヴェルディの音楽を「わけのわからない狂気の沙汰」と言わんばかりに
非難していたなあ・・・
やっぱり西洋の伝統としてカトリックの聖職者が知識人だったことから、
保守的傾向があったのかなあ?
革新はとりあえず叩いておけ、というのが知識人の共通認識なのでは?
叩いておいて、それに耐えて残ったものだけを認める、みたいな
風潮はあるかも?なんかマッチョだなw
このスレはこれからはテンションノートって言っても通じなくて
いちいち「単なる緊張感のある音って意味じゃなくてジャズ寄りの理論用語の
テンションノートのことなんだけどさ」とかいちいち言わなきゃいかんのか/
単に「ジャズ理論のテンションノート」でいいよ
まあ何を書くかは自由だけど、その一言があるだけでクラ理論派からの
(多分ジャズ理論派には勘違いに見える、意味不明の)書き込みを
避けて本題の議論に入れる、ということ