昔習ってたけど10年以上経って何もかも忘れてしまいました
できれば独学で色々と学習したいと思っているのですが何をすればいいのかすらわかりません
初心者にお勧めの本やサイトも書いていただけるとありがたいです
ただ課題曲が書いてあるだけではなく導入にいいものがいいです
春畑セ「ピアノの悩みを解決する本vol.1」
練習曲を何も考えずに弾くことを安易にすすめるなということだろ?
ショパンの練習曲なんかは高い音楽性も要求されるけど
ツェルニーのはそんなレベルじゃない
ひょっとしてここはツェルニー信者が多いのか?
あれはメインの教材にはなり得ないと思うんだが
(ショパンの練習曲やバッハの教材作品は立派なメイン教材)
>>258
鶴の重要性の問題じゃなく、鶴やその他練習曲と呼ばれるものと、その他のピアノ曲を
殊更分けて考えてるのがナンセンスだって言う話だよ。
考えて弾かないといけないのは鶴だけじゃなくて、全てのピアノ曲にいえることでしょ?
ハノンだって、ショパンだって、バッハだって、鶴だってそう。
特にバッハは、それこそ考えて弾かないと意味ない。
ショパンのエチュードもバッハもピアノ学習には一般的には不可欠と言われてるし、
個人的にも最重要だと思うけど、どちらもピアノ始めて間もない人には無理だね。
自分は鶴は一通りやったけど、毎日弾いてるのはハノン。
譜読みが苦手なのと、効率的にウォームアップできるから。
何をどう教材として使うかは、人によると思うよ。
鶴 1時間~1時間半
習っている曲 30分
その他趣味の曲 十数分
って感じです。もう少し曲に時間を割きたいけど
鶴やらないと指が動かないの曲をやる意味がない。
鶴や曲のレベルが分からないけど、その時間配分じゃ鶴が
自分のレベルに合ってないんじゃない?
鶴が好きでだから長時間やるってわけじゃなく
それだけやらなきゃ曲と同様に仕上がらないのはちょっと無理なのかも。
先生に時間配分の事言ってみた?
>>269
鶴50の中から5曲ずつ。 1時間~1時間半(1曲10~20分)
(自分の不得意分野のものを指定されます。)
曲は今はラフマニノフ。 30分程度
(音の絵、前奏曲、楽興の時、ソナタ等々)
まあ、独学ではないので参考にならないかも。。。
何か関連があるのだろうかね、権威主義とコミュニケーション不全の間に。
攻撃性ってのは、結局自己が脅かされた事に対する反応なわけだから、
自己が脆弱であるという事なのだろうが
それが権威主義を呼ぶのだろうか。
権威主義というのは、自己の外に根拠を求めるという事で、
自己の感覚、判断、思考は常にそれより下位に置かれてしまうわけで
さらに自己の空洞化=弱体化を招くという事はあるのかな。
ある意味負のスパイラルだよね、
かと言ってアンチ権威主義てのが何者も生み出す事はないわけだが。
利点があるとしたら、他人との感覚の相違に遭遇した時に
迷う事が無いって事なのかね。
まあ、迷うって事は自分がそこを突き詰めてないって事に気付く機会なんで
迷わないから利点とも言えないか。
権威に縋りたい人は独学をやるべきではないよね。
だって参照すべき正しい権威が身近に居ないわけだから。
単に自分の先入観で選んだモノを権威として設定してるだけ。
結局自分が選んでるんだから、要するに自分の判断であるに過ぎない。
まあ、それはいいんだけど、そこに探求、客観視、試行錯誤、判断という
自己責任でやる場合の必須項目が欠けてるって事だよね。
独学者の権威主義は致命的だ。
ちなみに自分の信奉するピアニストは、その著書の中で
「ツェルニーを全てこなすのは、膨大な時間とエネルギーの無駄遣い」だと書いてる。
もっと子供が興味を持てるような様々な音楽性をもった教材を使って、
尚且つ、その子が苦手なテクニックについて鶴で補う、と。
鶴が駄目な教材ということではなくて、あれを全てこなすという一大作業の中で
子供がピアノを嫌になることが多いという意味でね。
その方は、バルトークのミクロコスモスなどをレベルに応じて使うことが多いようだった。
自分はまだ弾いたことないのだけど。
ツェルニーを全てこなすのは そりゃ膨大な時間とエネルギーの無駄遣いに決まってる。
全てやってる人なんて誰もいない。
せいぜい100を少し、30やって40、50までだろう。
その程度なら 苦手なテクニックを鶴で補う のに充分有益だと思う。
もちろんやりたくない人はやらなくても良い。全ての人にオススメしてるわけじゃない。
練習曲の利点というのは
・その曲を弾く事で特定の音形を集中的に繰り返す事が出来る。
・他の要素が極力取り除かれてるので、記憶しやすい。学習効率が良い。
本来的にはスポーツにおける、特定の能力不足を補う為の
局所的ウェイトトレーニングみたいなもんだよな。
それやらないと出来ない云々って類のもんじゃない。
ただ体系的に並べられてる事によって、その作者が考える所の技術が包括的に
無理なく身に付くと、それ以上でも以下でもない。
近いか遠いかって話は
途中で迷ったり、道見失ったりって事まで考え始めると
結論出るような話ではないね。
それが無意味か実は糧となってるかという事まで含めて考えると特にね。
みんな自己責任で頑張りましょう、無駄に他人のやり方批判すんな、
何もかもわかってるつもりの奴が実は一番馬鹿だったり
世の中面白いよな。