新しい理論の追求について
本に書いてあること学校で教えることは間違いではないが、そこから進めなくなることがある
3トニックシステムについて以下の定義を考えてみた
トニック=8番目の音が半音下げられた9音オーギュメント
ドミナント=トニックの半音下の9音オーギュメント 他は展開型
セカンダリードミナントはサウンドに応じて選ばれる
またこの理論は3音オーギュメント、6音オーギュメントと段階状に存在する 非常に幅広い
4トニックシステムの(便宜上)ドミナントとサブドミナントのルートだけ合体させると8音ディミニッシュが生まれる
トニックの半音上に現れるが、ルートではなくスケールを合体させると、
ダブルクロマチックと言う聞きなれないスケールが現れる
ダイアトニックは複合理論でありこちらが純正のように見えるけどどうかな
むしろ理論的には12音階で7音階を近似するのは
デジタルでアナログを近似するようなもので本質ではないな。
逆に、ダイアトニック理論を完全に忘れて12音階上だけでの
音楽を構築するのが本質だよ。
おっ分かっている人ですね
しかし、純正律というものが存在しなかったとして12音階で正解だとしても、
ここ300年の作曲は変わりなかったと思うけどね
スケールが和声の組み合わせの産物に過ぎないのだとすると、和声の成り立ちを説明する際に
スケールの概念を使ってはいけないことになる。
でも、どうして和声が1度3度5度の組み合わせを基調としているのか?とかどうしてV7→I△7は
解決なのか?といった疑問に「スケールの概念が無い、単音と和音しか存在しない音概念」の範囲内で
答えることは不可能では?
4つの類に分けられることだよな。
トニック、サブドミナント、ドミンナント、余り。
余りが出ないように。
4トニックシステムの方がいいな。
しかし、間違えたことに誰も気がつかない
4トニックのディミニッシュはトニックのルートの半音下だった
逆にややこしくなったかな
ドミナントとサブドミナントと定義すればサブドミナントの方が主体となっている
数が多いほど複雑な音程を表現できると考えるのが平均率原理主義者の
思想だよ。
民謡とか複雑な音程を表現するには12じゃ足り無すぎるね。
西洋音楽はグレゴリア聖歌の7つの音でしか表現できないような単純なのの延長だから
12で十分なんだろうけどね。
12平均律よりも24平均律の方がより正しいとは思えないがな
ダブルクロマチックも24音ではなく12音のダブルだと考えている
まあ、俺の性格では根拠が示されたらすぐにそっちに乗り移るんだけどね
12=3×2×2 24=3×2×2×2 24=3×2×2×2×2
だからマルチトニックシステムを構築する際に
2と3を素因数として持つトニックシステムしか出来ないからな。
わかりやすくおしえてほしいです
Ⅴ7→ⅠM7は解決しない
解決しているように聞こえるのはⅤ7が♭Ⅱ7の2トニックシステムだからだ
以上
最初に1音ありき、そして2トニックシステムによって減5度が生まれた
これだけである 何も進行しない 無限に続く減5度の世界
宇宙ビックバンが起こった 減5度が分裂して4度と5度が生まれた
最初のスケールは「sus4トライアド」
が最強理論
これから逃れるには周波数で屁理屈をこねるしか方法はない
改めて音楽理論を点検するなら、以下の点はきちんと再定義しておいた方が良いかも。
(1) 協和音、不協和音の「協和」の判定基準は何?
よく「単純な整数比に近似できる組み合わせの和音ほど、協和音である」と言われるが、その整数比は
最小の周波数比になる2音の組み合わせで考えるべきなのか?全構成音の整数比で考えるべきなのか?
最小の周波数比になる2音の組み合わせでよければ、
Csus4の構成音2音間最小周波数比はf:c=c:g=2:3、Cの構構成音2音間最小周波数比はc:g=2:3, c:e=4:5、
となりCsus4の方がCよりも協和音の度合いが高いことになる。
全構成音の整数比で考えるべきならば、
G7の全構成音周波数比c:f:g:b♭=4:5:6:7、C△7の全構成音周波数比c:f:g:b=4:5:6:15、
となり、G7よりC△7の方がより不協和音だ、ということになる。
(2) 和音の協和/不協和と音集合の安定/不安定は同じか、違うか?違うなら後者の定義は?
「不協和音から協和音に進行すると安定度が増すので解決感がある」という説明が巷間に蔓延しているが、
もしそうならCsus4→CやG7→Cの進行は(1)の定義次第ではまったく解決していないことになる。
もし、協和の定義とは別に安定度の定義があるのであれば、それは何か?
(3) 短3度音程、短3和音の成立をどう説明するのか?
単3度音程は最小に近似しても8:9となり、(1)の定義次第では属7よりも不協和となり兼ねないが、主和音に
多用される。その理論的根拠は何か?
>>955
協和/不協和の区別は、「根が決定するか/しないか」という観点によってみてはどうだろうか。
たとえば、C、F、Gからなる集合音だと、Cが根なのか、Fが根なのか、決定しない。
FがEに変化すれば、C―E、C-Gによって認識される差音Cによって、Cが根となる。
GがAに変化すれば、F-A、F―Cによって認識される差音Fによって、Fが根となる。
しかし、この考えだと、短和音はすべて「不協和」となってしまう。
短長・短和音については、倍音列によっても、差音によっても説明できないので、
二元論で考えるしかないと思う。
>>955
協和の判断をする基準は人の耳。整数比ではない。
鶏が先か、卵が先かみたいな話も出るかもしれないが既存の音楽理論は既存の音楽を分析、説明しているのであって既存の音楽理論を点検する前に整数比云々で再定義は愚なり。
下方倍音列という虚数を使う濱瀬元彦氏も、それなりの理論を作りあげているから、新しい音楽理論を作るために整数比を使うというのならば
>下方倍音列という虚数
この10文字だけで、もうダメダメ
下方倍音列を虚数で喩えている濱瀬がダメダメ、
それを理解できずにそのまま引いている君もダメダメ
上は、二音、三和音の例です。
構成音が四以上の和音について適用できるのか不明です。
四以上の和音の場合、短和音と同様の問題を抱えることになります。