私も中学の頃デモンストレーターしてたことがあります(笑)
契約はしてなかったのでわからないんだけど、現在のデモンストレーターは、おそらく専属契約がなされているはずです。
専属、と言うことでも、あとデモンストレーターと言う名前でも、楽器の販促が目的である、と言うのはわかりやすいですよね。
そしてプレーヤーのほとんど全員が講師を兼任している。それもヤマハ専属だと思います。(知らないけど)
古くからいる人たちは、エレクトーンへの愛着心以上に、ヤマハへの愛着、川上理事長への忠誠、みたいなのがあると思う。
それが宗教的と言われる所以。私もヤマハの一番いい時にいたので、憎みながらも愛している部分がある。
自分は本当においしいとこどりの人だったので。結果的に。
素晴らしいものに人はついてきませんよ。その時だけ素晴らしい素晴らしいって騒いで終わり。
付いてくるって何、って言う問題もあるけど、ずっとお金を払ってくれるかって言うと、払ってくれない。
なんでもすぐ飽きて次に行っちゃうのがほとんどの人。アーティスト側もどんどん新鮮なものを出せるわけでもないし。みんな一番いい時期は短い。
誰もがずっと付いてくるのなら、すたれるアーティストなんかいないよ。ほとんどの人が去年売れたものももう忘れてるようなのが現状。
>「単純なものが伝播し長く残る」ならエレクトーンは旧式のタイプに回帰すればいいのかな?
旧式自体がそんなに高い評価を得ていないし楽器としての完成度が高くないので無意味。
世界的な評価を得たのはGX-1だけだけど、コスト的にあれ維持が無理。小売価格も700万だし。個人的には別格に魅力的な楽器だったし私はいつも使っていたけど、民生機ではないのでほとんどの人は触れる機会もなかったし。
プレイヤーがリーマンと言うのはそうも言えるけど「保護するためにヤマハがパトロンになってる」とも解釈できるわけで。
個々のプレイヤーは個性的な楽器の使いかたをしてる人は沢山いるけど、受け手側がそれを理解できる人は少ないので、評価にまでは結びつかない。
世の中で何かを評価される為には、一斉にメディアを使って広く継続的にプロモートしなければならないが、エレクトーン演奏はそのようなプロモートはそもそもされていません。
個々のプレイヤーについては余計されていません。CDが出ても月間エレクトーンしか載らないでしょ。
そもそも月刊エレクトーンは、エレクトーンに関するもろもろの総合プロモート雑誌なんだけど、逆に言えばそこにしか情報は載らない。もうこれが全てをあらわしているわけ。
子供の頃から「なんでコンクールの告知をぴあにしてくれないんだよ。そしたらもっと沢山の人に見てもらえるのに」と思っていて、そういうのに腹が立って私はやめた。
>>137
旧式が完成度が高くないから意味なしっていうのはわからなくもないですが、
そこにかえって意味があったりしないです?
今の新型ってどんどん「「こんなこともできるようになった」という方向に行きすぎて
弾き手にゆだねられる部分が薄まっていくと言うか。
勿論旧型をそのまんま復刻しても売れないだろうけど。
>>138
旧式が欲しい人は、中古を買えばいいでしょう。タダみたいな値段であるんだし。
エレクトーンの場合、楽器だけではだめで、それに合った教材と指導者も必要というのがネックです。
製品を生産するときは、その時に調達しやすい安い材料で生産計画を立てるわけだし、商品だけでなく周辺の教材とか、指導者教育とか、プロモーション計画とかやらなければならないことはいろいろありますよね。
それが全部ビジネス的にペイするかを見こんでやるわけで、過去に作ったものは既にどれだけの設けがでたか結果は出ているわけです。現時点で再生産していないと言うことは、それが再生産したいと思えるほどの利益が上がらなかったと言う証拠です。
...ってこんなことを説明しなければわからないと言うのが、もう絶対社会人じゃないでしょ?と思った理由なんですが....
「ヤマハにたてつく気概のある人物はいないのか」発言にしても...
全部理想論なんですよね。
>そこにかえって意味があったりしないです?
だからね~、意味があっても、利益が出ないと、再生産ってのはしないのよー。
意味があるって言ってくれるだけじゃだめなの。お金出して買ってくれなきゃだめなの。それもひとりやふたりが買ってくれてもだめなの。何十万台かが売れなきゃだめなの。
それも100年掛けて売れてもだめなの。1年とか3年で売れてくれなきゃだめなの。それがビジネスってものなのよー。
海外の音楽家も使っていますよ。
全く関係ないけど、ずーっと昔「エレクトーン占い」のおじさん、って言うのが出て、バラエティとかに出て有名になっちゃって、
でもイメージが悪いとか言って、ヤマハはとっても困っていたのね。そしたら、そのおじさん翌年に死んじゃったの。
それはヤマハの呪いと言われてました(笑)
>どうして改善しようとしないの?狭い世界でつまらんプライドに拘るの?って思うんですよ。
だからね。個々のプレイヤーは改善しようとしています。それをどうやるかって言うと、彼らはいい演奏するしかないわけ。
それ以外にないので、そうしてますよ。でもそれが広がらないんだよね。一人一人は革新的な使い方をいろいろ考案していると思います。
要は、プレイヤーではなく、学習している人たちの中心的なスタイルがあまりにもダサいものになってしまった、と言うところが墓穴でしょう。
そしてそういうのを良いと思って推し進めている講師もいるんでしょうね。それで余計外野が引いてしまう、と言う。
ヤマハは楽器を作っている部門と教育部門とは分かれていて、教育部門は「財団法人ヤマハ音楽振興会」です。
でもやはり楽器を作る本体の意思のもとに連携して動いていると思うので、芸術性を求めるにしても、それが売上を阻害するものであってはいけない、みたいになるんじゃないの?
株価下がってるし(笑)
ただ、楽器なので未来を開いて行けるのは、やはり優秀な演奏家なんですよ。
中村幸代さんとか出てきた時もすごい才能あると思ったし、革新的なこともいろいろしてるし、
たまに海外の演奏とかTVで見ても、すごいいいことやってるし、でもそのプロモート体制がやはり甘いと思うけど、
そういうのをあるべき形でプロモートする感覚を持った人が内部にいないんだろうし、中村さんは劇伴作家にシフトしちゃったし、
まぁなかなかうまくいきませんよね。
いくら周りがやきもきしても、要はその演奏家が出現するかどうかなんです。
で、演奏がうまいだけじゃなくて、魅力的なパーソナリティーを持っていなければ、啓蒙はできない。
西村由紀江とかあんな美女に育つとは思わなかったんだけど(5歳から作品知ってるし)彼女をあの程度しかプロモートできなかったと言う所が、ヤマハが今どれだけのことをできるかを如実に表していると言えると思います。
個々の演奏家の人は、大変な状況の中がんばっていると思いますよ。ただ、やはり才能のある人の多くは他の方面に行ってますね。松井慶子さんとか見てもわかるように。
>>137
プレイヤーさんは人間的な部分を含めていい人たくさんいらっしゃると思います。
そういう人を見るにつけ「エレクトーンの営業マンなんだなあ」と気の毒な気さえします、、、。
>>昔やってた人
僕はJOC出身で、今はプロの劇伴作家やってます。
(あなたの言ってた典型例。)(w
といっても、JOCはそんなにいいところまでいけなかったけど。
18歳までやってたけど、丁度そのころフュージョン・ブームで
あの複雑なベースラインを足鍵盤でやるのは無理だということ、
さらにエレクトーンというのは結局は、世の中にある音楽を
縮小コピーして表現することになってしまうということを
悟って、やめました。
(勿論、あの独特の宗教的な気持ち悪さもある。)
色々ネガティブな意見があるけど、でも自分が今、
作曲でメシを食えるのはひとえにエレクトーンのおかげ。
さらに俺は音大に行ってないにもかかわらず、今は
オーケストラ書いてるしね。(w
オーケストレーションの概念を常に意識しながら、作曲や演奏
が出来たのがエレクトーンをやっていてよかった最大の収穫。
さらにピアノとちがって、打鍵のON,OFFのタイミングを非常に
シビアに要求されるから、ピアノだけやってきた人に比べると
シンセを弾いたりするときにアーティキュレーションなどの
付け方がうまいと(自分ながら)思う。
実は俺も中学校の時に、某先生に月一で特別に習ってたんだけど、
その時はジャズオルガンの奏法に特化して習っていたから、
今考えると非常に有意義だったと思う。
(本当は、先生に会って、今の自分の作品を渡してみたいのだが・・・。)
今のは、事前に「打ち込んで」再生する、というプロセスが
加わっているから、純粋なリアルタイムの演奏とは呼べないよな。
で、中途半端に色々な音が出るから、結局、音楽全体としては
「二流の音」の集合体になって非常に安っぽくなっている。
うーん、エレクトーンに携わっている人たちには、本当に
頭のいい人達はいないのか?
(EL900の開発秘話をどこかのHPで見たが、「音色の並びに普遍性を
持たせてある・・・」なんてところは本当にナンセンス。)
個人的にはローランドのVK-77にペダル鍵盤の組み合わせを
買いたいと思っている。純粋にハモンドのシュミレーションだから、
余計なものがついていない。
でも、昔からコンクールなどを見ていると、やっぱり素晴らしい人は素晴らしい音を出すんだよな。
子供の頃の大島ミチル氏なんて鳥肌モノの演奏だった。
(そのころはGX-1だったけど、音色も含め、神がかっていたと
思うぜ。)
土居慶子(現、松居慶子)氏も、子供の頃からうまかったし。
というわけで、今のエレクトーン界はご愁傷様というほか
ないな。いくら優秀な人材がいても、あの楽器とあのシステムでは
モティベーションを維持しろという方が無理だもんな。
昔の試行錯誤していた時期が結果的にいい時代だったということか。
>>>141
わはは、やっぱりいたいた。もう石を投げれば当たるんだから~。
アレンジャーや劇伴作家で、今やJOCが何かを知らない人はいないんじゃない。
先生にCD送ればいいのに>>>141 喜ぶよ。
松田昌さんについてたの?それかあの...名前思い出せない。ジャズのアレンジ譜出してるかっこいい人...かな?
楽器に関しては、今出てる最新型はかなりいい感じに上がってるって聞いたけどどうよ?
私はまだ触ってないけど...
ただこないだオーチャードでJOCユニセフ見たとき、確かに弦の音がGX的で気持ち良かったよ。
あれだったらおうちにあるとたまに弾くと楽しいだろうなーと思った。
私もGX世代だけど、あれが現役機だった時に出た人たちって、やっぱり一種別格なんじゃないかな。
一番いい時にいれたと思うけど、あと2年早かったらなー、と思う。
GXに関しては、色々な意味で奇跡的に良かったと思いますね。
大島さんに関しては、ユニセフのライブ盤とか持ってるけど、シャギリとか全然いいと思わなかったなー。
あの人テクニカルには凄いけど、ショムニまではいいとは思いませんでした(笑)
単に自分の趣味の問題なのかも知れませんが。
それより、田中由美子さん、浦野由佳さん、森谷真美さんあたりがどうしてるか気になります。
>>141さん
ひとつの「音楽学習機器」としての価値はわかる気がします。
そこから先、いざ音楽を作り出すということになると無理かなと思います。
結局打ち込みじゃないか!なんて見方に対抗するべく編み出されたのが1に書かれている妙な動きだったりするのかと。
昔手の届かなかったHDRなんかが厨房でも買える時代ですからね。
楽器でなく昔やってた人さん(このHN、一般に昔やってた人を指すのと区別しづらいので実は替えて欲しい、、、)
の言う「ツール」と割り切って捉えることも難しく(なまじ演奏できるだけに)、かと言って前述のように
演奏にこだわると妙な動きになってしまふ。というので中途半端。
楽器というより「ジャンル」だね。
>>139
中村さんも魅力的なプレーヤーですね。
でも、中村さん個人がどうのじゃなく全般的に
ハングリー精神を感じにくいな。
まあ、精神がどうのって言ってもカネの問題なんだね。
ああ、あと、結局ヤマハはプロモートしたいとかプッシュしたいとかじゃなく
優秀な方はむしろ抱っこしておきたいんだね(と読みとりましたが間違い?)。
横レス。
141さんは滅茶苦茶いいパターンだよな。
でも、末端のシステムはもっと腐ってるぜ。
オケの作りにアタマ悩ますコドモが賞なんかとれないんだぜ。
そういうことにアタマ悩ますことの意味さえわからなくても
スレの上の方にあった力のある講師に習ってる子が賞とるんだから。
で、そういう末端がユーザーの大半なんだから、
世間一般で「ダメ」と思われてもしょうがないな。
金がどうのというよりこれは何か間違ってるよ。
>>143
だっかっら!!
そういう考え自体が楽器として捉えられないって言ってんの!!
結局なんなのよ??楽器なの?教材なの?ビジネスの道具なの?
優しい目で見てって言うかと思ったら138の発言の主旨を見事に誤解した反論するし。
138のどこに旧式が欲しいって書いてるの?
>>144
俺がJOC出てる頃は、週に3種類くらいのレッスンを受けてた。
(そのうち一つは前述の、某有名な先生。)
つまり金を落とさないと、コンクールで上位入賞は
事実上難しい、っていうのはあるよな。
で、最後の最後で、また地元の音大の作曲家の
わけわからん先生が来て、クリニックと称して
手直しをするのだが、折角の子供の素晴らしい
ひらめきが、大人の手垢で汚れて分別くさい処理を
されてしまう。
あれはその子の為というよりも、自分たちのところから
入賞者を出すための「ドーピング」とでもいうべき
悪習だったな。でも結果的にはださださだったけど。
つまり大人のつまらん損得勘定や思惑に、子供の
純粋な?曲が汚されるという、頭のわるーいシステム
だったような気がする。
まぁ、とはいえ、指導してくれた先生達は、
みんな一生懸命ですばらしい人たちばっかりだった
ような気はするがな。
笑える話が多いな。
あたし一時期誰にもつかないで、GXだけ借りてて、コンクールだけ出てたことがあるのね。16ぐらいの時。
そしたらセンターの偉い人が飛んできて「あなたみたいに誰にも付かないでGXだけ借りてコンクールだけ出るとか言う人がいると困るんですよ。今度演奏研究会作るから、あなただけオーディションなしで入れるようにしますから、そこに入ってください」って言われたのね。
でも、その演奏研究会が、そんなたいした演奏研究会じゃないから、入りたくなかったのよ。
その頃もろもろの問題ですっかりやる気なくしてて、でやめて行かなくなって、でも友達がいろいろ出てるじゃん、だからそういうの見に行くと、いるわけだ、みんな。
で「やめるのやめるの?」とか言われて、でまたそこにセンターの人が「ちょっと話がある」とか来てさー、
「うちの県からインターナショナルのテープ審査に3人エントリー枠があるから、そこにあなたは予選なしで入ってもらうから、戻ってきてください」とか言われて。
でも「いいです」って戻らなかった。それが最後。
まー、金出さないと上に行けないのは悪習であり、いろんな世界であることだからなー。
お茶やお華だって長年やってて師匠にたくさん金出さないと級や段もらえないじゃん。
>つまり大人のつまらん損得勘定や思惑に、子供の
純粋な?曲が汚されるという、頭のわるーいシステム
だったような気がする。
その通りだよ・・・。それを必死でやらされる子供は
かわいそうだ。中にはいい先生もいるだろうけどさ、
やっぱ大多数はそうじゃないし。
違うだろ。金出してもいいと思うくらいのものを見せてやらないと。
やっぱそれは大問題だったんでしょうね。そういう人が賞を取ったりしたら、すごいヤバいことだったんでしょうね